いけばな嵯峨御流

令和元年8月号 華務長対談 辻󠄀井ミカ×京都国立博物館 館長 佐々木丞平

■日本の宝を未来につなぐ親しみやすい博物館

 

今月のお相手は京都国立博物館館長の佐々木丞平さん。ICOM京都大会開催を間近に控えた佐々木館長を訪ね、格調高い建物や広々とした庭園を巡りながら、伝統・文化を守ることの難しさ、大切さについてお話しいただきました。

 

◆伝統文化を守るのが京博の使命

 

華務長 今日、お伺いするのを楽しみにしていました。京都国立博物館(京博)は何といっても建物が素晴らしいしお庭もすてき。京都生まれの私には小さい頃から特別な場所でした。ファンの一人として勝手に誇りにさせていただいています。

佐々木 京博ができたのが明治30年、今年で創設123年となります。明治維新で廃仏毀釈などがあって、文明開化で日本の伝統とか歴史などがずたずたになる、それに対して、ようやく日本の伝統文化を守らなくてはいけないのではないかという風潮が出てきて、京博の前身の帝国京都博物館ができたんです。

華務長 日本には4つの博物館がありますが、京都が一番古いのですか。

佐々木 一番古いのは東京国立博物館(東博)で、明治5年にできています。ただ、その前身の帝国東京博物館はちょっと京博とは成り立ちが異なります。当時、日本は新しい殖産工業を起こしていかなくてはいけないということで、明治6年に開かれるウィーン万博に出品して経済活動のために積極的にピーアールしようと、それまでのいろいろな伝統工芸の技術の粋を集めたものを作りました。そのウィーン万博に持っていくための工芸品をまず東京の博物館、当時は湯島聖堂にあったのですけれど、そこで展示をして、その後ウィーンに持っていったんですね。つまり、ウィーンに持っていくためのものを集めた展示場、それが東京国立博物館の前身なんです。それに対して、京都や奈良の博物館は、日本の伝統文化の危機にあって、そういう文化財を守るんだという姿勢からスタートしました。ですから、当初から京博の一番大きな使命は、「伝統的な文化財、日本文化を守る砦になる」、その司令塔になるんだということだったのです。だから、ちょっと東博とは考え方が違っていたわけですね。

華務長 東博と京博、両方あって良かったと思いますけれども、京博が死守してくださった日本の伝統文化の大事な部分というのが未来へと引き継がれていくことに、一市民としましても、一国民としましても、一地球人としましても、本当にかけがえのないありがたいことだと感じております。

 

◆さまざまな工夫で、さらに京博を魅力的に

 

華務長 どれくらいの収蔵品があるのですか。

佐々木 国宝も含めて収蔵品が8000点、寄託品が6000点。京都にある寺院の仏教美術もお預かりしています。縄文時代の文化財から明治時代のものまで、いずれも日本の各時代を代表する作品で、収蔵・保存するだけでなく修復も行っています。博物館の伝統的な考え方としては、仏像なり器なり、さまざまな芸術品、文化財を大切に保存して、それをできるだけよい形で皆さんに見ていただくことです。それが一番大きな使命なんですけれども、博物館も時代の中に生きているわけですから、時代が変化するとやはり博物館自体も変わっていかなくてはいけない。かつては、「これは博物館行きだ」と言われたら、そこで冷凍保存されるようなイメージがあったのですけれど、そうではなくて、過去のものを大事にしながら今の時代にどういう風に出していけるか、これから社会にどのように貢献していけるかということが大きなテーマになってくると思っています。

華務長 博物館というところの使命には大きなものがございますね。

佐々木 文化財というのもやはり生きものですから、自然に置いていても経年劣化して弱っていきます。国の貴重な財産を守っていく、伝統を守るというのは大変なことで、いけばなもそうでしょうけれど、伝統を守りながら今の時代に合ったものにしていかなくてはいけないというのは、本当に大変だなという気がします。

華務長 伝統というのはつながるということですから、今の新しい世の中に合わせつつ核となるものを守っていかなくてはなりませんし、難しいですね。そのためには、日本の人が皆、その守っていくものの価値に気付いて、関心を持つということが大事ですね。直接守るということはできなくても、それが大切なものだということを学び、知って、それを後世の子どもたちに伝えていくということも必要ではないでしょうか。

佐々木 「文化の危機」というのは、人間が関心を持たなくなったとき、無関心になったときにやってくる。それが一番怖いので、多くの人に少しでも関心を向けてもらうように、作品をより深く理解していただくための無料講座や音楽イベントを開催したり、金曜・土曜は午後8時まで(7、8月は午後9時まで)開館するなど、さまざまな工夫をしています。庭園で野外オペラをしたこともありますし、子どもさんたちに関心を持ってもらおうと、「くまもん」などのキャラクターを多数集めて、「京のキャラ博」というのをしたこともあるんですよ。

華務長 今日も「トラりん(京博のキャラクター)」にお出迎えしてもらって、思わずハグしてしまいました。京博は開館時間をはじめ一般の人にも優しい取り組みをされているし、雰囲気もすごく開かれている気がします。

佐々木 京博が親しみやすいとおっしゃっていただいてうれしく思います。10年、20年前までは、博物館というと敷居が高くてなかなか行きにくいという人も多かったのではないでしょうか。博物館側も「関心のある人は来てください」というぐらいの気持ちで運営されていた時期もあったようですし。「博物館としてはこれがやりたいんだ」ということだけでは、いわゆる敷居が低くならない。どのようにすれば皆さんに喜んでいただけるか、どのようにすれば皆さんに楽しんでいただけるだろうかと、来てくださる方々へ目を向ける、それによって自然に敷居が低くなっていくのだと思います。

華務長 その姿勢に接しますと、文化を守っていくというのは何か特別なことをするということではなくても、自分たちの暮らしを少し高度なものにしていくといいますか、そんな暮らしぶりって大事だと思いますね。

佐々木 文化というのはことさら飾り立てるとか、目立つように派手にやるというのではなくて、普段の生活の中の質の良さというか、そこが一番重要だと思うんですね。

華務長 こちらに寄せていただいて、文化の香りに触れ、ゆったり宝物を拝見しますと、少し自分の質が高くなったような気がして、その豊かな気持ちのまま日常の生活に戻れる気がします。

佐々木 お話を伺っていて、華務長が我々の理想とする一番の来館者、お客様だろうと思いました。皆さんに、こういう来館者になっていただけるよう努力をしていきたいと思います。

 

◆一輪の花で風景を想像させるいけばな

 

佐々木 現在の建物はかつての方広寺の境内に建っています。今、耐震工事のための準備中ですが、地下からさまざまな遺物が出てきます。旧本館の「明治古都館」は、片山東熊によって設計されたもので、洋風建築ですが破風の下には毘首羯磨(びしゅかつま)、技芸天といった東洋的なモチーフのレリーフが彫られ、独特のニュアンスがあります。2013年にできた「平成知新館」は、世界的な建築家の谷口吉生先生の設計で、モダンな中にも和風の感覚が取り込まれた建物です。京都の町家からデザインのヒントを得られたところもあるようですよ。

華務長 その片山東熊の師匠のジョサイア・コンドルは鹿鳴館を建てた方ですけど、その後、鹿鳴館は日本にそぐうものではなかったということから、今度は日本のいけばなに非常に興味を持って、イギリスで研究をなさって、いけばなの本「The Flowers of Japan And Art of Floral Arrangement」を上梓されました。その本を超える英文のいけばな解説書は今もないといわれております。例えば薔薇にしても、ヨーロッパの方ですと珍しい貴重な品種を育てて、それを飾るときにはその薔薇がどこに咲いていたとか、そういう風景のことを考えていけるということはないそうです。でも、日本のいけばなでは、どこにでもある草花を使って、そして素晴らしい風景を連想させるような花をいけます。そこが大きな違いだと書かれていまして、その一文に私はすごく感動しました。

佐々木 コンドルさんがいけばなの本を…。それは知りませんでした。いわゆるフラワーアレンジメントといけばなというのは、基本的な考え方が全然違うのでしょうね。

華務長 そうですね。フラワーアレンジメントは荘厳な教会を飾るというところから発生し、その後サロンの飾り、デコレーションとして発達しましたので、飾りという側面が強いんです。いけばなは、嵯峨御流についていえば嵯峨天皇様がお庭の菊を手折られて殿上にいけられたところ、その菊にも人間と等しい命というものが備わっていて、それが具体的に天地人というものの調和の姿を示していたというところから始まっています。一輪の花がどういう自然環境の中で育ち、その中でたくましく根を伸ばし葉を茂らせて、そして花を咲かせたのか、そういう生命感というのを大事にしておりますので、花ばっかり、きれいなところばかりではなくて、根っこから伸びて、茎が撓み、風雪をしのいで曲がって、そういう姿を立体造形で捉えようとするのがいけばなです。一般的に、室町時代にいけばな、華道の様式が成立したといわれておりますけれども、現在のほぼどの流派、新しい流派であっても、根底にあるのはそういう日本独自の自然観ですし、花に託す心やその目指すところに大きな違いはないと思います。嵯峨御流でいえば、日本の伝統の中にある仏教的な宗教観といいますか、命がつながって存在しているとか、私たちもまた自然の要素の一つであるとか、そんな風に風景を見ています。

佐々木 一輪の花のなかに風景を想像させるというか、ものすごく規模の大きな世界というのがいけばなにはあるんですね。

華務長 いつもそういう気持ちで、花に対峙していますね。名もない自然の草一本でもいけたときに、その草から日本の美しい景観が表現できるというのは、これはすごい技術なんじゃないか、日本の伝統の文化の型の中でそれが伝えられていっているということもすごいことだなと思います。

佐々木 我々自然美ということをよくいいますよね。そういうあるがままの美しさ、自然美に対して、いけばなは自然の中から何かを切り取って、ある種非常に洗練された型の中に収めていく。それがかえって普通の自然美とは違った大きな、場合によっては抽象的な、頭の中で創造する抽象的な自然になるかもしれないけれど、現実の自然よりはもっと大きな膨らみがあったり深みがあったりするものになる。そういう可能性がありますね。

華務長 今、すごく大きなことをお話しいただいたと思います。京都においては特に、あるがままの自然というのは少なくて手の入っている自然ばかり。やはり高い感性を持つ人たちが手をかけた自然の集合体が京都の風景ではないかと思いますし、日本の文化を基にした質の高い暮らしの中で、風景そのものも手を加えられて、人の手によって美しく磨かれてきたものです。京都を訪れる人もそういった自然というのが見たくて来られるのかなと思っております。

佐々木 この間、南禅寺界隈にある庭園を拝見する機会があったのですけれど、たくさんの庭師さんたちが庭に入って枯葉一枚一枚を掃除されている。本当の自然だったら、落ち葉がパーっとそこらに散らばっている。それも一つの自然なんですけれども、それとは全く違う世界を作り上げていく。人間の感性がそこに入り込んだ自然なんだなと。

華務長 人の手が入ることで、人と自然が関わり合うことで美しい風景がずーっと次の世代にも続いていくんですよね。明るいものと美しいものに向かってしか、人の心は動かないのではないかと思っておりまして、風景をいけるときも、そういう風景の元になるものがなくならないよう、より美しく風景をいけるということによって未来に貢献していけるのかなと思っております。

 

◆ICOM京都大会に期待

 

華務長 今年9月に25回目のICOM(国際博物館会議)が京都で開かれ、佐々木館長が組織委員長を務められると伺っています。

佐々木 世界140カ国3000名くらいの博物館関係者が集まってきて、博物館を巡るさまざまな課題について議論します。30くらいに分科会が分かれていますので、それぞれテーマはあるのですけれど、共通するテーマとして、「SDGs、持続可能な社会にいったいどのように博物館は貢献できるか」ということを掲げています。地球の持続性、人類の持続性、生命の持続性、いちばん根本的なことを考えましょうと。地球そのものが持続可能にならなければ、人間など存在し得ないのですから。いけばなが取り組んでおられるのと同じですよね。

華務長 日本でも世界でも、水の流れに象徴されるように景色というのは連続しています。上流のどこかで分断されたら、下で環境破壊が起こる。水がつながるように人もつながり、空間もつながっているという弘法大師の教えを大事にして、環境を守るためにいけばなにできる取り組みをしていきたいと思っています。

佐々木 「持続可能」の話をしていると、自分のところがどのように持続可能かと考える人が多いんです。例えば企業は、いかに持続可能な仕事ができるかといったように。しかし、いけばなというのは自然と直結しているので、花を介して持続可能な世界を考えていこう、根本的なところから取り組んでいこうとされている。京都ICOM会議のテーマとまさに一致しています。

華務長 これから忙しくなられると思いますが、日本で初めてのICOM大会が京都で開かれるということで、期待しております。大覚寺へお立ち寄りくださるエクスカーション企画もおありだと伺っておりますし、この機会に世界の博物館関係者の方々に日本の伝統文化に触れていただき、理解を深めていただけるよう私たちも応援しています。

 

 

<プロフィール>

佐々木丞平 ささきじょうへい

 

京都国立博物館館長。京都大学文学部哲学科卒。同大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課修了後、京都府教育委員会、文化庁で文化財保護行政に携わる。京都大学大学院文学研究科教授を経て、2005年、京都国立博物館館長に就任。2007年から2017年まで独立行政法人国立文化財機構理事長。著書に『与謝蕪村』『池大雅』『浦上玉堂』『円山応挙研究』など。1999年に『円山応挙研究』で日本学士院賞受賞。京都大学名誉教授。専門は日本近世絵画史。

 

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