いけばな嵯峨御流

令和元年12月号 華務長対談 辻󠄀井ミカ×株式会社龍村美術織物 代表取締役会長 龍村平蔵

 

■学びを縦糸に、情熱を横糸に独創的な織物を生み出す

 

織物を「美術品」にまで高めたと賞される株式会社龍村美術織物。仕事域は幅広く、古代織物の復元からタペストリーや緞帳、和装用品、ファブリック制作にまで及びます。今回は、四代 龍村平藏会長を訪ね、その創作の源泉についてお話を伺いました。

 

◆布を立体的に捉える

 

華務長 龍村さんの作られる意匠にはすべて名前が付いていますね。それによって、これはおめでたいときのものだといった風にイメージが湧きますし、多角的に拝見できます。

龍村 名前はその織物の品格にも関わりますからとても重要です。だから付けるときが大変。文様を表さないといけないし、かといってありきたりな名前を付けたくないし、ずいぶん悩みます。

華務長 先ほどショールームで見せていただいた「大牡丹印金錦」柄の帯が実家にありまして、私はこの帯が大好きです。母が仕立てたものなので、ずいぶん以前からある柄ですね。

龍村 唐時代から伝わる牡丹唐草文様を現代風にアレンジした意匠で、初代の龍村平藏が作ったものです。ですから、柄としてはもう百年以上になります。

華務長 そういう風に長く繋がっていくお仕事なんですね。着物好きにとって龍村さんの帯は垂涎の的。特に金や銀の糸が輝いていて、遠くから見てもそれと分かるくらい独創的です。

龍村 布は立体だと思うんです。薄いものなので平面として捉えがちですが、立体の造形として捕まえなければいいものはできない。ルーペで見ると、1本の糸でも光る部分があるし、影の部分がある。そうした糸全部が集まって一つの布になっているわけですからね。当方の織物は、そうした考え方が基になっています。

華務長 だから模様が浮き上がって迫ってくるように感じるし、奥深さがあるんですね。

 

◆若い人の発想も取り入れ、新しい伝統を作っていく

 

華務長 龍村さんが創作される意匠は、伝統的なものからモダンなものまであります。そのデザインソースはどこから出てくるのでしょう。

龍村 初代は、骨董品をたくさん買い込んでいたそうです。その絵付けなどからインスピレーションを受けていたようですが、私はいろんな写真を見たり、美術館に行ったり、何か新しいものはないかといつも目を光らせています。先日はヨーロッパまで出向き、世界中の織物研究家が集まる古代織物の研究発表会に参加してきました。今回はドイツとベルギーでしたが、そうした時に古いものを見て回ったりします。

華務長 世界中を飛び回って、いろんなものに接して日頃から常に感性を磨いておられるのですね。

龍村 でも、例えば吉祥文様など、昔からずっと使われ続けてきた意匠を新鮮味のあるものにアレンジするというのはとても大変です。帯を作るとき、私が「こうしたい」という希望を伝えたうえで、若い職人に実際の製作をしてもらうと、思いがけない色を組み合わせたり、私なら到底できないようなことをしてくることがあります。納得できる場合ばかりではありませんが、そうした若い人の発想も大変面白いです。

華務長 若い人は独特の発想をされますものね。美術大学でいけばなを教えていても、驚くような作品をいける人がおり、アーティストを目指す学生は感受性が鋭いんだなあと感じます。そういう若い方の発想も取り入れて、現代風に少しずつ変えていくということが、また新しい伝統になっていくのでしょうね。

 

◆古裂の復元を通して先人の技術を学ぶ

 

華務長 昨年の「嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年戊戌開封法会」に際し、経袋裂を復元していただきました。約2カ月間、ほぼ毎日拝見していたのですが、あれは素晴らしいお仕事ですね。

龍村 当社では、これまでも正倉院宝物裂や法隆寺裂などさまざまな名物裂の復元に携わってきました。昔の裂は、今のものとは作り方が違い、さまざまなテクニックが使ってあります。復元することでそうした技術が学べるので、とても勉強になります。

華務長 古典の中に凝縮された古代の人の知恵を研究して、それを後世に伝え続けていかれるのですね。私どもも、時代の哲学まで含めてしっかり学び、その上に成り立った技術、さらにいえば、1本の枝でも「どうしてここに入れるのか」というところまで紐解き、理解して、後世に伝えていかなければいけないと改めて痛感しました。

 

◆織物といけばなのコラボレーション

 

龍村 その嵯峨天皇の経袋裂の復元がご縁となって、平成28年の「四代龍村平藏襲名10周年展」では、嵯峨御流の方々に花をいけていただきました。

華務長 龍村さんの素晴らしいデザインの帯に映えるお花とはどういうものだろう、吉祥の文様にはやはり吉祥の題が付いている文人華がいいだろうなど、いろいろ考えるのも楽しかったです。

龍村 「竹庭錦」の意匠は京都の八幡市にある松花堂の竹林に着想を得て創作したものですが、本物の金明孟宗竹を使って作品を挿花してくださいました。

華務長 すがすがしい竹の柄に感激した先生方が、一生懸命金明孟宗竹を探し回って、ザ・リッツ・カールトン京都での展覧会ではそれを御所車にいけました。あれは、織物とのコラボレーションだからこそ生まれた作品。植物をモチーフにした柄も多く、私たちも「帯とのコラボ」という機会を大いに楽しませてもらいました。

 

◆伝統技術のエッセンスを継承する

 

龍村 私どもの織物は、作ったものが長い時間残りますが、いけばなの場合、作品として存在する期間はとても短い。伝統の継続という面から、どのように継承しておられるのでしょうか。

華務長 おっしゃるように花は残りませんので、写真がない昔は作品を写生していました。その写生が残っていますので、それを見ながら、「どうしてこの花と花、花と器の組み合わせにするのか」とか、「どうしてこういう形になっているのか」といったことを考え学び、そして伝えていっているわけです。写真と違って、絵では大事なところしか描かれていないし、ここだというポイントが強調してあるので、逆に学びやすい面もあります。

龍村 エッセンスが描いてあるのですね。

華務長 そうです。その根幹になっているのは型ですので、型の勉強をすることで継承しています。さらに、こうした技術や型というものとともに、花を通じて哲学や思想、宗教観といったものが連綿と継承されていくということが大事だと思っています。とはいえ、近代の美術や芸術においては、残念ながら「いけばなは瞬間芸術である」という風な見方をされた時期もあったようです。先代や先先代は、常にそうした瞬間芸術という言葉と戦いながら「いけばなの伝統」というものを探ってきたと思います。

 

◆嵯峨美とのご縁

 

龍村 お寺さんが学校を経営されるというのはよくありますが、芸術系の大学を経営されるというのは大覚寺さま以外にないのではないですか。

華務長 もともと大覚寺の中に嵯峨御流という華道があったことが、芸術大学を作ることにつながったと聞いています。

龍村 先ほど、昔は写真がなかったので絵で作品を写したという話を伺いましたので、そういうところから絵と関係する学校になったのかと。

華務長 そういうこともあったかも知れません。嵯峨御流に残っている古い教本はすべて手書きの写本ですし、先生の中にも画家でもあり華道家でもあるという方がおられて、素晴らしい作品を残しておられます。絵を描く、空間を構成する才能というのは、いけばなに通じるのだと思います。その嵯峨美術大学の卒業生の何人かが御社のデザイン室に働かせていただいていると伺っております。

龍村 5、6人はいてくれていると思います。それに、京都迎賓館の広間を飾る綴織の巨大タペストリー「比叡月映」「愛宕夕照」も当社が制作したのですが、その原画を描かれたのは嵯峨美術大学の箱崎睦昌先生。嵯峨美大とはいろんなご縁をいただいています。

華務長 私も拝見させていただきましたが、素晴らしい作品ですね。龍村さんは帯や和装小物だけでなく、ああいう大きなものをお作りになっていらっしゃるところがすごいですね。

龍村 東京の歌舞伎座や名古屋の御園座などにも緞帳を納めています。

華務長 ぜひ、拝見させていただきたいと思います。

 

<プロフィール>

龍村平藏

1947年京都生まれ。1982年株式会社龍村美術織物入社。2004年代表取締役社長、2019年代表取締役会長就任。四代龍村平藏を襲名。CIETA(国際古代織物研究協会)会員。龍村家の審美眼を受け継ぎ芸術性の高い迫力ある作品を発表している。

 

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