いけばな嵯峨御流

令和元年6月号 華務長対談 辻󠄀井ミカ×嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学学長 佐々木正子

 

次世代の創造を生み出す伝統の力

 

今年四月に嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学学長に就任された佐々木正子さんが、今回のお相手。新緑が美しい晩春の大学を訪ね、大学で何を教えるか、芸術の可能性など、さまざまな話題を巡って熱く語り合いました。

 

◆嵯峨天皇の文化と美意識とを表現していく

 

華務長 ご就任おめでとうございます。この度の入学式に、「大覚寺のもと、大学はお花の世界と両輪となって嵯峨天皇様の文化と美意識とを受け継ぎ、表現していく」とのご挨拶がとても心に響きました。

佐々木 今の若い学生たちは、すぐに新しいものを作ろうとしますが、新しいものを作っていくには基礎を学び、伝統に学ぶことが大事ですので、しっかり力を入れて教育していきたいですし、華道の授業などの機会を生かして広く文化・教養を身につけてもらいたいと思っています。

華務長 ここに来て初めて花を習うという学生も多いし、もしかしたら人生で花に触れるたった一度の機会になるかもしれない。だからこそ、その人の人生に何かを残すものになるよう、講師の先生にはそういう熱い気持ちで1回1回の授業をしていただいています。

佐々木 学長室にも学生が花をいけてくれています。今日飾ってあるのは、花をいけるのが2回目という学生の作品なんですが、上手にいけられていて、美大生ならではの美的センスが生かされているのかなと。

華務長 芸術的なバランス感覚があって、プラス個性も表現するので、ちょっと教えるとすばらしい作品をいけてくれますね。

佐々木 また、芸術の力は本人の生きる力にもなると思います。さまざまなことをキャッチしてそれを自分の中で熟考してそこから出していくという、人間として一番大事な訓練が創作を通してできますので、たとえ別の仕事を選んだとしても充分役に立つし力になることでしょう。卒業後の伸びしろが大きくなるように、そういう人間育成も視野に入れた教育をしていきたいですね。

 

◆自然と向き合い命を慈しむ

 

佐々木 花に触れることは、命を考えるきっかけにもなると思います。日本画の場合などは植物や動物などを描くことが多いのですが、ただ外見を写すということではなく、そのモチーフの持つ命、その輝きをしっかりと受け止めて、それを作品にしてもらいたいんです。「華道」といいますが、昔は絵画も「画道」といって、技術だけではなく、自然とどう向き合うかという精神的なものを追い求めました。命を慈しむ気持ちを持って初めて描けるんですね。こちらに掛けてある作品は、今年3月に卒業した学生の作品なんですが、水に沈んでいる落ち葉は命の残像、そこに今、生きている鯉が泳いでいる。命を見つめ、それを描きたいという彼の姿勢を評価しています。

華務長 綺麗なところだけを描くのではなく、少し枯れて次の芽がもう宿っている、そういう自然の営みの中の輪廻転生のようなものが、この絵の中に入っているような気がしますね。

佐々木 いけばなは花の命をいただいていけられるわけですから、同じような方向性を持っているのではないでしょうか。

華務長 一本の木、一本の花を見る視座にも、独特の哲学、思想が込められています。地面から生えて、さらにその前、根っこの気配まで表現していく。弘法大師空海さまの、それぞれの命が連続して繋がって宇宙が存在しているといった曼荼羅の思想、嵯峨天皇さまの菊花に命の大切さを表現されたという自然観、そういったものが基にある教えですので、未来にも通じる教えだと思います。

佐々木 創作物は心を癒したり慰めたりするものですので、命の問題というのはとても大事なことです。命とか自然というものに目を向け、自然から教えてもらうという姿勢は、創作する上での基本の姿勢ですので、大学の中でしっかり身に付けてもらえるよう教育していきたいと思っています。ちょうど、近年ブームになりました伊藤若冲は「草木国土悉皆成仏」、つまり一本の草にも一本の花にも仏性が宿っていて尊いものであるという禅宗の思想に基づいて、その命の輝きを絵にとどめようとした画家です。若い人には、若冲の卓越した色彩感覚や技法だけでなく、命を慈しみ自然から教えてもらうという、創作する上での姿勢にも注目してもらえれば嬉しいですね。

 

◆必要なのはSDGsプラス文化力

 

佐々木 今、世界ではSDGs(持続可能な開発目標)について話し合われていますが、特に日本は自然を大切にする文化がしっかり根付いていますから、率先して自然を守り、自然と共存して持続可能な社会を作っていく、人間の精神的な部分でも争いのない平和な社会になるようリードしていける国だろうと。その中で、華道ですとか芸術分野は、まさに人間社会をよくしていくための潤滑油のようなものなんですね。だから、私はSDGsにプラス、文化力というのを作って欲しいなと思うのですけれど。そういう意味で、華道の分野も芸術の分野も言い方は大げさですけれど、未来社会のために力を尽くしていかなくてはいけないと思います。

華務長 おっしゃる通りで、今の世の中で共通の問題は環境のことだと思います。日本は世界の中でも稀に見る自然豊かな国。こんなに水が豊富で、どこにいっても美しい風景が見られる国はそんなにないと思います。これからの人には、日本の独自の文化を学び、そして共通のものを見出して、さらにこういうものを大切にしている日本の文化を伝えていっていただけたらいいなと思います。

佐々木 日本の文化を学ぶという点で、京都に美大としてあるということは大きなメリットです。私は江戸時代の美術を中心に研究をしているのですが、京都には若冲や宗達、光琳などスーパースターみたいな人がいっぱい出ています。江戸時代のその頃もそうですし、室町時代の東山文化とか今の日本文化の元になったものが京都で生まれて今も継承されているわけですから。

 

◆花は素晴らしいコミュニケーションツール

 

佐々木 学生時代、年配の方と奈良を探訪していた時に、その方の友人の家に寄ろうということになって事前の連絡もせず伺ったことがあります。玄関でご挨拶して奥の客間に通していただく間に、奥様が庭の牡丹を手折っていけてくださったんですね。それが目の覚めるような艶やかさで、旧家の全体が茶色いお家の中でその一輪の牡丹の持っている生命感、エネルギーが爆発したようで、まったく違う世界に連れて行ってくれるような感覚を味わいました。花って本当に力がありますね。カラー写真のように今でもその花が目に焼き付いています。突然やってきた友人のために大事な牡丹をいけてくださった、そのお気持ちにもすごく感動しました。花はそういうメッセージになるんだなと。忘れられない体験です。

華務長 花をいけること、花を差し上げることには、プラスの感情しかありません。差し上げた花には「あなたのことを思っています」という気持ちが込められていますし、いただいた方にもそれが伝わるから嬉しい。こんな素晴らしいコミュニケーションツールは他にないのではないでしょうか。一輪の花で、言葉が違っても習慣が違っても分かり合えますから。

佐々木 国際共通語の世界ですね。人が人を思うシーンには必ずお花があって、嬉しいときも悲しいときもさまざまなときに人の心を表すものとしてお花がその役目を担う。アートの分野でもそれに匹敵するような作品、芸術の力で世の中に何かを巻き起こしてくれるような作品を生み出してくれるよう期待しています。

 

◆「型崩れ」ではなく、「型破り」を

 

佐々木 国際高等研究所というところで芸術系の研究会のリーダーをさせていただいていたことがあるのですが、そのときに型の話が出て、「いけばななどには型がある。鋳型のように元型があれば、誰がいけてもまったく同じになるんじゃないか」という意見に対して、メンバーのお花の先生が「型というのは心棒になるもの、外側に型があるわけではないので、花材の選び方とか枝の流れなどでさまざまなバリエーションを出せる」と反論されて大激論になったことがあります。能をされている方は、「型がなければお能自体が組み立てられない」とおっしゃって、「開く」という一つの型で翁と天女を舞い分けて、老人としての翁と、優美な天女とではまったく表し方が違うということを見せてくださったりしました。

華務長 型というと、一般的にはステレオタイプに同じものができていくと思ってしまうんですね。

佐々木 型はお花とかお茶とか伝統文化に固有のものだと思われがちですが、型は伝統文化だけではなく、最先端の分野で最速で技術をアップさせるシステムや現在の日本の学習システムとしても有効に使えることがわかってきましたし、もう一度、型つまり基本を学ぶことの重要性を見直すべきなのではと考えています。

華務長 型というのはすごく良くできていて、練りに練られて洗練されたものが残ってきていますので、学長自ら型の大切さ、基本の大切さを学生に教えていただけるのはすごく幸せなことですね。美大の学生は、いけばなの授業でも最初は変わったことをしたがるのですが、基本を習っていくうちにその良さが分かってくるようで、学園祭の展示のときには、今まで変わったことをしたがっていた学生が、本当に基本に忠実にきれいにきっちりといけあげたりします。

佐々木 「型崩れ」と「型破り」というのがありますが、基本や伝統を突き詰めていきたいと勉強した結果として「型破り」になった場合は大変力があって、その先に展開がありますけれど、基礎も伝統も充分理解していない段階で単に新しいものを生み出そうとしているだけでは、単なる「型崩れ」になってしまう。江戸時代の絵師に狩野永徳という人がいますが、武士の時代の気風に合わせて少しでも豪華な勇壮なものにしようとした結果、彼の時代に狩野派の絵のモチーフがすごく大きくなるんですね。実は型の中で単にモチーフを大きくしているだけなのに、見る側としたらすごく「型破り」なことをしているように見える。ですから、まだ力が熟成していない、新しいものを生み出す力のないときにトライして「型崩れ」にならないよう、学生たちには基本を勉強して、そこで問題意識を持って何かに挑戦していってもらいたいし、その結果として新しい未来の形が生まれていくのではないでしょうか。

 

◆芸術の価値を伝える難しさ

 

華務長 この間からいろんなお話を聞いているのですが、すごく交友関係が広くていらっしゃいますよね。

佐々木 好奇心が旺盛なんですね。さまざまな分野の方にお話を伺いますと、いい刺激をいただくことが多くて。国際高等研究所のメンバーには国際法の先生とか、工学部の先生とかもおられたんです。そこで芸術の話をしたところ、私は円山応挙で学士院賞をいただいたもので、「応挙を百点とすると、弟子の蘆雪は数値化すると何点になるか」という質問がありまして、異分野の方というのはそういう捉え方をするのかと。芸術の価値というのは見る方の好みによっても揺らぎますし、時代によっても揺らぐものですけれど、工学の分野ですと明確にそれは不動のものという認識があるわけです。芸術を語るうえで、その芸術の揺らぎの部分、心を向けた人にはさまざまに語りかけるけれど、目を閉じ心を閉じた人に対しては何も作動しませんので、その部分をどう伝えるか、ずいぶん苦労しました。

華務長 それは自分の中にはない物差しですものね。

佐々木 特に芸術の分野というのは、発信者と受け手との問題があるので、花一輪にしてもそれを感動して受け止めてくれる人と、そうでない人がいますから。やはりコミュニケーションですよね。花を通して、いけ手と花と鑑賞者の三つのいいコミュニケーションが取れて初めて完璧な世界が現れる。そのためには、見る側の心も澄んだ状態にしておかないといけないなと思いますね。

 

◆サマーカレッジでの講演が楽しみ

 

華務長 七月のサマーカレッジで、先生に講演していただけるということで楽しみにしております。テーマは応挙と若冲と光琳のそれぞれの方の時代背景や、ものの見方によって表現の仕方がこれほどに変わるという、そういうお話だと伺っております。

佐々木 花が同じ咲き方をしていても、時代によって創作者側の花を通して見ているものとか表現したいものが変わり、装飾の方に傾くときもあり、花の構造だとか写実、写生という方にいくときもあり、命の輝きをという非常に仏教的な思想で描くときもあります。花というモチーフを通してその時代性、作者の思想というのが明確に出てきますので、そういう話をさせていただければと思っています。

華務長 先生のお話に続いて、私たちがデモンストレーションを行います。華道家が花とどう向き合っていくのか、それも時代背景がありますし、型のある花もあり、また自分の心を表現する花もありますので、花に何を託すか、どう向き合うか、そういう話に繋げていけたらと思っています。

 

 

〈プロフィール〉

佐々木正子

 

嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学学長。東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒。京都大学美学美術史学研究室・文科省特別推進研究研究員・ミシガン大学客員講師などを経て、2005年に嵯峨芸術大学(現・嵯峨美術大学)大学院芸術研究科教授に就任。以降、同大学芸術文化研究所所長、同大学附属図書館長などを歴任。2019年4月より現職。江戸期の描法解析を中心に研究し、「円山応挙研究」で国華賞・日本学士院賞受賞。日本の文化・芸術に深く精通し、国内外で幅広い活動を展開している。

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