いけばな嵯峨御流

華務長の部屋

いけばな嵯峨御流 華務長
華道家

辻井ミカ

Profile

辻󠄀井ミカ先生は、祖父・父の跡を継ぎ昭和43年より嵯峨御流に入門され、平成2年派遣講師となり本格的に華道家としての活動を開始される。

平成8年華道芸術学院教授に任命されたのを始め、華道評議員、華道理事、華道企画推進室副室長等の総司所役職を歴任、平成16年より平成26年3月まで弘友会司所の司所長に就任される。

そして平成26年4月1日より華道総司所華務長に就任。
現在 嵯峨美術大学評議員、日本いけばな芸術協会理事、大阪府花道家協会常任理事、いけばな女流選抜作家展運営委員、大正大学客員教授を務められる。

華務長からのお知らせ

6月3日。滋賀県高島市今津町の平池(だいらいけ)を見学しました。

6月3日。滋賀県高島市今津町にある、標高500mの山あいの「平池」に、1万株あるといわれるカキツバタの群生地を見学させて頂きました。
水面に映る紫の陰、杉の木立の隙間から木漏れ陽が新緑を明るく照らし、さわやかな風が吹いています。ここには、景色いけ七景のいけかたのうち、深山の景、森林の景、沼沢の景、野辺の景、池水の景、の全てがあり、聖地のような風景です。

このような風景を、いけばなを愛する方々皆さんと一緒に愛でることは、この上ない幸せ。この美しく瑞々しい生命感をいけばなで表現したい!というモチベーションが大いに高まりました。

 

サトイモ科 テンナンショウ属 マムシグサ

 

毎日新聞5月24日(金)夕刊に、天皇陛下の記事。

毎日新聞5月24日(金)夕刊に、天皇陛下の記事。そのなかで、昨年、大覚寺で嵯峨天皇様御宸翰般若心経をご覧になられた事や、大覚寺 伊勢俊雄 宗務総長のお言葉も掲載されています。

「記事抜粋」
即位を半年後に控えた昨年10月31日、京都の大覚寺に天皇陛下の姿があった。この寺では、平安時代の嵯峨天皇が飢饉による疫病に苦しむ民衆の平穏無事を祈って写経した直筆の般若心経を守り続けている。案内した伊勢俊雄執行長は「『1200年、よく守っていただきました』と繰り返しおっしゃっていただきました」と語る。その真意をおもんぱかるに、歴代天皇の事績を通じて、国民にとって象徴天皇とはどうあるべきか、理想とする天皇像を改めて胸に刻んだのではないか。

5月27日。大正大学仏教学部 仏教学基礎ゼミナールで、ゲスト講師をつとめました。

本年も、大正大学仏教学科で、ゲスト講師を務めさせていただきます。
いつもながら美しい大正大学構内、アカデミックな雰囲気漂う教室での講義を、私も楽しみにさせて頂いています。

5月27日、米澤嘉康先生ご担当の授業で、21名の学生に「いけばなで命の大切さを学ぶ」と題して、パワーポイントを使いながら、実演を交えて講義をさせていただきました。命の根源である水の流れが、山から海まで連続して流れることにより、風景が生み出される。その風景をいけばなで表現する、嵯峨御流独自の花態「景色いけ・七景の水の取り方」を紹介して、「いけばな」は生命感の表現であることを説明しました。

5月19日。機上から拝めた富士。

飛行機の中から外を見ると、雲が海のように拡がっています。雲海に浮かぶ富士の山。とても神秘的でした。

小松美羽ライブペイント in 旧嵯峨御所 大本山 大覚寺

■6月9日(日) 午後2時〜 ※小雨決行(悪天候の場合、大覚寺内 信徒会館)
■大覚寺内 心経宝塔前
 
小松美羽の京都初のライブイベントを開催!!
嵯峨天皇の離宮からの長い歴史ある門跡寺院の大覚寺の大沢池を背景に、厳かな中で、迫力のタッチで描きあげます。
 
小松美羽
1984年長野県生まれ。女子美術大学在学中に銅版画の制作を開始。
20歳の頃の作品「四十九日」の際立つ技巧と作風で賞賛されてプロの道切り開く。近年は銅版画に加えて、アクリル画、有田焼など制作領域を拡大。パフォ-マンス性に秀でた表現力で、神獣をテ-マとした作品を発表。

 

https://www.daimaru.co.jp/kyoto/topics/komatsumiha2019.html

5月16日。日本いけばな芸術東北展に出品しました。

 

日本いけばな芸術協会は、1966年に全国の諸流派代表(130流派223名)によって設立、現在300流派4200名の会員を擁する公益財団法人です。

東京・大阪での本部展、全国各地で地区展を開催し、いけばな芸術の普及と発展に寄与。東北展は9年ぶりの開催となり、協会を代表する役員、東北地区会員、一般出品あわせて37流派396名の代表作家が前期・後期にわかれて展示します。堤焼、玉虫塗の花器に協会役員がいけるコーナーを設け、いけばなと宮城の伝統工芸品のコラボレーションを企画。また、東日本大震災復興応援企画として、いけばなデモンストレーションが、他にもこどもいけばな体験教室を開催し、期間中に作品展示されるなど。
今回私は、協会役員として、前期に玉虫塗の器にいけることになり、アルミニウム製壺の深い緑色のに合わせて、「地湧金蓮」というバショウ科の植物と、石化柳を取り合わせました。
東北で作品をいけるのは初めてでしたが、嵯峨御流は全国に107の司所が存在しますので、有難いことに山形司所・仙台司所・秋田司所の先生方に助けて頂き無事3日間の展示を全うすることができましたこと、感謝しております。

 

我が家の庭に、白いカキツバタが咲きました。

今年も待ち焦がれていた折鶴という品種の白いカキツバタが咲きました。

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5月13日。仁和寺へ。御室流華道第103回流祖奉献全国挿花大会を拝見しました。

 総本山仁和寺で開催された、恒例の挿花大会に、華道総司所から竹原善生教務部長とご一緒に伺いました。

 仁和寺門跡 御室流家元 瀬川大秀様、華務長 小田美風先生、吉田正裕執行長様にご挨拶させて頂き、小田華務長様のご案内で各華展会場を拝見いたしました。

 

5月11日。嵯峨御流華道富山司所創立65周年記念華展のテープカットに出席しました。

会期は5月11日(土)・12日(日)で、「高岡御車山会館」と、「ウィング・ウィング高岡」の2会場にて開催されました。

高岡御車山会館の会場は嵯峨御流の伝承花を中心とした展示で、ウィング・ウィング高岡会場では、ホールを生かした様々な花態と御所車が飾られました。


ウィング・ウィング高岡会場の御所車、御車山会館の御車、と両会場ともに御車が核となる会場構成だということでした。

さらに富山司所長のお話しを伺いますと、「嵯峨御流の花を地元の皆様により知っていただきたい。地元が誇りとする御車山を、嵯峨御流の花展を見に来られる多くの皆様に見て頂きたい。また、御車山をふくめ伝統的な建築物がならぶ街並みといけばなが融合する様子も楽しんで頂きたい。」と深い想い入れを町全体を会場と見なして実現されたとの事でした。高岡へ足を運ばれる遠来のお客様にも、また高岡の市民の方々にも、地元の伝統文化といけばな双方の魅力を感じていただける素晴らしい企画だと思いました。

5月11日初日は、華道総司所伊勢俊雄理事長様、地元の御高名な方々とともにテープカットに臨み、私もお祝いの言葉をのべ、華展は大盛会で2日間で2000名余りの来場者があったとのことです。

東京新聞5月2日に、天皇陛下が大覚寺へ御成になられた記事が掲載されました。

https://www.google.co.jp/amp/amp.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/CK2019050202000117.html

写真を上記より、記事を下記より転載させていただきます。

https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019050302000056.html

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東京新聞5月2日web

<新時代の皇室>(1)温故 「人々に寄り添う」は伝統

昨年10月、60年ぶりに封印を解かれた嵯峨天皇の宸翰(しんかん)に見入る天皇陛下=宮内庁提供

即位されたばかりの天皇陛下を見ようと一日早朝から多くの人が皇居に集まった。お堀の内側、宮殿「松の間」で午前十一時十分すぎ、即位後朝見(ちょうけん)の儀が始まった。静寂の中、陛下の国民に向けた初めてのお言葉が響く。「常に国民を思い、国民に寄り添いながら…」

 二〇一六年八月八日、陛下は名古屋駅の貴賓室にいた。視線の先に映し出されていたのは上皇さまが退位の意向をにじませたビデオメッセージ。上皇さまは何度も「国民」と口にした。

 上皇ご夫妻は、災害の被災地や国内外の戦跡をたびたび訪れ、傷ついた人々に寄り添い続けた。そのスタイルは「平成流」とも評された。だが陛下の見方はやや異なり、そうした姿勢こそ歴代天皇の伝統であるとみている。

 ビデオメッセージの前日、陛下は愛知県西尾市にある古書の博物館「岩瀬文庫」で、百五代の後奈良天皇による直筆の宸翰(しんかん)を鑑賞した。疫病や飢饉(ききん)などを収めるために天皇が寺社に収めた写経で、いわば国民のための祈りだ。陛下は昨年十月三十一日にも、京都市右京区の大覚寺で、六十年ぶりに封印を解かれ公開された、嵯峨天皇による平安時代の宸翰に感嘆の声を漏らし、案内役の伊勢俊雄(しゅんゆう)・同寺執行(しぎょう)長(60)に「千二百年、よく守っていただきました」と礼を述べた。伊勢さんは陛下の穏やかな表情に期するものを感じたという。

 「歴代天皇の事績は、折があるたびに調べるようにしている」。学習院幼稚園と中、高等科時代の同級生小山泰生さんは昨年の正月に陛下から、そう聞かされた。「天皇が国民にとって、どのような存在かということは、今後も考え続けなくてはいけないことだろうから」と小山さんはおもんぱかる。

 陛下は即位後朝見の儀で、皇位を受け継ぐに当たり心にとどめることを二つ挙げた。一つは「上皇さまのこれまでの歩み」。もうひとつが「歴代の天皇のなさりよう」だった。

 初代神武天皇から数えて百二十六代目、史料上確認されているだけでも皇室の歴史は千数百年に及ぶ。時代によって政治の体制は移ろい、その存在感に濃淡はあっても、天皇はこの国の権威の中心にあり続けた。

 過去の天皇の事績をたどり、自身の理想とする天皇像を模索してきた陛下。新時代の幕開けとともに象徴天皇としての歩みがいま始まったばかりだ。小山さんはこう指摘する。「国民がどういうお姿を期待するか。天皇の存在は、その映し鏡でしょう」

 天皇の歴史に詳しい所功・京都産業大名誉教授(日本法制史)は「天皇の役割は時代によって違うが、政治的、経済的な力がない時も、国家国民のために祈ってきた。陛下は歴史の研究者であり、神話よりも実証的で具体的なものを受け継ぎ、お手本とされるのだろう」と話す。

 

 令和という新時代を迎え、陛下は伝統と変化の調和をどう模索し、どのような皇室像を描くのだろうか。新時代の皇室の課題を探る。

(この連載は荘加卓嗣、小松田健一が担当します)

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