お盆休みが明けて、華道総司所は17日から再開しました。皆様もお変わりございませんでしたか?
私は今週から来週にかけての行事の準備もあり、ずっと自宅で過ごしていました。
8月23日は東中国地区連絡協議会のいけばな公開講座、8月30日は北陸地区連絡協議会のいけばな公開講座、
その前に、8月20日は我が家へJICA研修員が世界8か国から8名来られて、いけばなとお茶のワークショップを行います。これらのご報告はまた後日にさせていただきます。
ところで、8月上旬に、「総司所だより」の表紙撮影の為、大沢池の天神島へ行った時のことです。
御神木である楠の巨木の大きな枝が、落下していました。早朝ゆえ、毎日見回りしておられるお寺の方はまだ誰も気が付かず、第一発見者は月刊嵯峨の撮影もして下さっているカメラマンさんでした。

これは6月18日に私が撮った同じ木の写真です、向かって右側の支柱に支えられている大きな枝が今回落ちたものです。 左側は天神様の祠の灯篭。

この御神木は、大沢池の天神島のシンボル。

大沢池を南西側から北東方向をのぞむ写真 6月18日撮影。
天神島は、御神木の姿によって遙か遠くからでも一目でわかります。

嵯峨御流中伝 桐の巻より
嵯峨御流盛花発祥の大沢池。
大沢の池は、1200年以上前の姿をとどめる、日本現存最古の林泉。この風景も、大切な御神木も、人の手で大切に守られながら、嵯峨天皇と空海の嵯峨御流の思想を後世に伝えていきます。人と自然の係わり合いの結果として保たれていく大切な風景、その風景のいけかたが花態となっているのが嵯峨御流盛花「景色いけ七景三勝」の花型です。嵯峨御流独自の「景色いけ」は、風景を、自然界の中の連続した水の流れによって生まれるものととらえ、その原点である大沢池(庭湖)は1200年姿を変えず存在しています。「景色いけ」は守りたい風景や取り戻したい心象風景を、いけばなの型により後世に残し伝える事ができるものです。私たち華道家は、人々の誇りや想いのこもった風景を大切に残していくためにも、いけばなで美しい風景をいけて共感を広げていくことで、自然に関心を持ち環境を守る意識を、人々に広める一助となりうるのではないでしょうか。
8月7日(金)
大覚寺宮墓地は、大覚寺の北方にある陵墓です。旧嵯峨御所大覚寺に関わられた後水尾天皇の皇子性真親王をはじめとした皇子皇女のお墓が祀られています。
後二條天皇皇孫 弘覚王墓
後二條天皇皇孫 深守親王墓
後亀山天皇皇子 寛尊親王墓
後伏見天皇皇曾孫 寛教親王墓
後宇多天皇皇子 性勝親王墓
正親町天皇皇孫 空性親王墓
後陽成天皇皇子 尊性親王墓
霊元天皇皇子 性応親王墓
後水尾天皇皇子 性真親王墓
今日8月7日、大覚寺宮墓地に隣接する一般墓地にお墓がある方々に対して、お盆供養の法要が大覚寺内 五大堂で行われました。法要に先立って、教務部寶山僧正様が、お盆に関する様々なお話をなさいました。
お盆=盂蘭盆、語源はウランバナ(直訳すれば 逆さ吊り という恐ろしい意味になる)。釈迦十大弟子の目蓮は自分の亡き母親が天界で幸せに暮らしているかどうかを自分の神通力を発揮してのぞいてみたところ、餓鬼道地獄で逆さ吊りになっていたことが見えた。その事を目連が釈迦に相談し、釈迦は「夏の夏安居(げあんご)(※インドでは夏は雨期となる。夏安居は僧侶が室内にこもって修行すること)が終わったあと、すべての僧侶とすべての御霊に施しをすればよい」と教えられそのとおりにした。すべての御霊に食べものを施すことを施餓鬼といい、これがお盆の行事の始まりでるとのこと。日本では、奈良時代に伝来した仏教の盂蘭盆と、もともとあった神道の中元祭(先祖供養の行事)が合体して旧暦7月15日(地域によっては8月15日)日本のお盆の行事になったということです。
最後に、ご先祖様は、自分から20代前にさかのぼれば100万人にもなる、というお話を聞きました。
法要が終わり、五大堂から外へ出ると猛暑・大沢池の蓮花の涼やかな姿が救いです。
放生池の北側には夏に花咲く「土用藤」も咲いています。
お盆休みは、猛暑になりそうですね、世界的に今までにない厳しい暑さとなりそうです。
京都新聞によると、イラクでは気温が50度を突破し、パキスタンでは熱波による死者が千人、インドでは2千人を超えたそうです。
オーストリアでは記録上、過去約250年で「最も暑い7月」と認定され、また、イタリアやドイツのアルプスの山々では、氷河が異常な速さで解けているとか。皆様どうかお気をつけてください。
16日まで華道総司所はお盆休みに入り、このブログも16日まではお休みとなります。また17日からブログ再開致します。
JR嵯峨嵐山駅改札を入ったところに、嵯峨御流のお花が生けられています。いつもは、京都嵯峨芸術大学の学生がいけばなの授業で生けた花を展示しているのですが、今は夏休み中ですので、9月23日まで講師の先生方が交代で生けてくださっています。
この写真は、講師の先生が生けられたドラセナ・リンドウ・アンスリウムetcです。
9月の授業が始まれば、学生が毎週交代で、JR嵯峨嵐山駅と、サンサ右京(右京区総合庁舎)内の1階コンシェルジュカウンターと、3階右京区中央図書館にも授業で習った嵯峨御流のいけばなを展示します。
7月25日の遊花一日夏期大学でのデモンストレーションの為に、採取して下さった葦。
酷暑の中を、材料集めの為に川辺まで足を運んで下さった方のご苦労を思いながら、有難くいけました。
『古事記』の冒頭 創生の神々を述べたくだりに、早春の湿地に生える葦牙を崇めて「宇摩志阿斯訶比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」と記されています。「うまし」は「美し国(うましくに)」などというように、良いものという意味。「あし」は葦。「かび」はカビと同じ語源で、醗酵するとか、芽吹くものという意味。すなわち、「あしかび」は「葦の芽」のことになります。葦の芽吹く力強さから、生命力を神格化し活力を司る神として、男性の神の呼称「ひこぢ」が付された神の名前です。
創生に現れる五柱の神のうち、実体をそなえているのは この葦の神だけなのです。
楽屋にストックされていた、手のひらに載るほど小さ葦牙を、我が家へお連れ致しました。
「四国八十八ケ所 牛子華の山水画世界」を拝見しました。
7月29日、空海ゆかりの四国八十八ケ所を背景に描かれた、雄大で繊細な水墨画作品の展覧会を拝見しました。牛子華(にゅう しか)先生は中国陜西省出身・愛媛県在住の中国山水画家です。
展覧会は、京都文化博物館5階にて、8月2日まで開催されています。
写真は、左から、牛子華(にゅう しか)先生。
この展覧会をご紹介くださった、嵯峨御流の萩原茂洲先生と、奥様。
中国西安市の青龍寺を描かれた大作の前で。
月刊『嵯峨』8月号の門跡様のお言葉は「無功徳」。ご法話には「これは六世紀前半、当時中国を治めていた武帝とインドから中国に禅を伝えた達磨大師のやりとりです。仏教を厚く庇護した武帝は、その功徳としてどんな善いことが自分に起こるかと尋ねます。それに対して達磨大師は「無功徳」と答えたのです。一見すると大師の答えは冷たいものに感じますが、これは自分への見返りを求めて善行していた武帝への戒めの言葉なのです。
功徳とは、善い行いによって得ることができる利益のことです。善いことを行えば善いことにつながります。ですが自分にとって利益となることを期待しない心で行うことこそ、本当に善い行いとなるのです。」と書かれています。
私のいけばなは、東南アジア原産のバンダ(ラン科)。これは、サンスクリット語の「バンダカ=まとわりつく」という意味が属名バンダの由来となったものです。
根の面白さも見どころの一つとしていけました。
平成27年7月25日、「遊花一日 夏期大学」テーマ『美し国 日本』デモンストレーション&ワークショップが開催されました。
華道総司所会員限定企画として「遊花一日 夏期大学」が大覚寺内華道芸術学院において開催され、230名余りの方が受講されました。
この日の早朝、寺内にある日本現存最古の林泉・大沢池では、「観蓮節」が行われ、中国古来の消夏飲酒法である象鼻杯がふるまわれました。
蓮の葉に酒を注ぎ、その酒を、長い茎の先端から飲む その様子が象の鼻のようであることから名づけられたもの。とても優雅な楽しみと言えます。接待役は、千早の装束を付けた嵯峨御流会の先生方です。
遊花一日夏期大学、会場である華道芸術学院1階ロビーには、担当講師6名でいけた迎え花「豊葦原瑞穂の国」の大作。(暖竹・伊吹・ルトジ)。また、1階2階の廊下には15~16作のガラス器を用いた心粧華。
午前の部は、テレビにも度々出演しておられる吉村作治先生の講演。テーマは、「世界遺産・古代エジプトから見た蘆の文化」で、エジプトの古代紙パピルスや、葦に関する話、また16弁の菊と蓮との関連性について、そして古代エジプトもそうであったように日本人が持つ<自然を神として尊ぶ心>こそ未来の地球に必要な<自然との共生>の心ではないかという、興味深い話題が次々と語られ、1時間があっという間にすぎた講演でした。
午後は、いけばなデモンストレーション。 テーマは「豊葦原瑞穂の国」を、服部孝月 華道企画推進室室長と私が担当しました。
服部先生のデモは、「葦一色のいけかた」。嵯峨御流奥伝の伝書には、「我が国の未開時代は、いまだ国をなさず、一面の青海原に初めて一つの葦が生じ、それが次第に蔓ってついに大いなる島となり、豊葦原磤馭慮島(とよあしはら おのころじま)動きなき大和島根と称するようになった」とあり、葦はわが国の源をなすものでみだりに取り扱うことを禁じています。この花をいけるときは、香をたき、室を清浄にする、などの最高の配慮をすることが心得事として書かれています。デモンストレーションに先立って、1階講堂2階教室の各会場には 香を焚いた香炉が柱ごとに置かれ、室を清浄な香で浄めて頂きました。
古事記・日本書紀の神話と神々の話しを交えながら、いけあげられました。

続いて、私のデモは、真塗の花衣桁を用いて、葦のある風景画を描くように。
下に置いた水盤には、様々な種類の葦・パピルス・しゅろがやつり・蒲・燕子花・
河骨・菱・名古曾蓮など。
向かって右の懸け花は、葦の新芽が川の流れのなかで茎を伸ばした、まるで蔓のよ
うな姿のもの。大覚寺に咲く槿を添えて。
向かって左の懸け花器は、煤竹 銘「杖頭」 久田宗也書付。花は楓と仙翁。
釣り籠器は玩々斎作。大沢池の白蓮。


服部先生と私のそれぞれのデモが終わり、次に二人同時に荘厳華をいけ
ました。荘厳華は、神仏へ備える立て花形式の花態です。
荘厳華「真」花態=金明竹・夏櫨・キキョウラン・擬宝珠・鶏頭・女郎花・
キキョウ 他。
荘厳華「行」花態=アナナス・ナナカマド・擬宝珠・紫陽花・鉄線 他。
ワークショップは、暖竹・パンパス・アンスリウム・クッカバラ・スモークグラス
を用いて、受講生それぞれ思い思いの取り合わせで、「祈り花」「空相の花」を
いけていただきました。
今回の「遊花一日」では、テーマを古代の神話に求め、花を愛する人たちとともに、テーマと花にひととき無心になって遊ぶ心持ちで楽しく過ごしていただきたいと思い、企画したものです。これからの社会で、何を大切にしなくてはならないかということも、花を通じて一人一人が考えて頂くきっかけになれば幸いです。
この企画を遂行するに当たり、多くの方々の御協力を頂きましたことに感謝申し上げます。
7月24日、今年で13回目を迎える「生花コンペ」が開催されました。応募された全国の門人の中から先着50名の方が、嵯峨御流華道芸術学院地下ギャラリーで腕前を発揮されました。今年の花材は伊吹です。厳正な審査を経て、優秀賞2名、佳作7名が選ばれました。日頃の腕前を発揮できた方や、いつもはいけられるのに今日はうまくいかなかった方などいらっしゃったことでしょう。作品からは、一生懸命さや誇らしさ悔しさなどがひしひしと伝わってきて、拝見する私にもエネルギーが湧いてきたような思いでした。
受賞作品は名前が置かれて、いけられた50作の作品は、翌日25日の「遊花一日 夏期大学」の受講者にも一般公開されました。
受賞された皆様、おめでとうございます。惜しくも今回は選ばれなかった方の作品の中にはとても惜しい作品が沢山ありました。皆様の益々のご研鑚と、次回にまた挑戦して下さることを期待しています!
京都の祇園祭に協賛していけられた嵯峨御流の作品を拝見してきました
京都の祇園祭に、7月15日から17日までの3日間、京都いけばな協会所属の流派代表が、四条通りの各店舗を飾るいけばな展が開催されます。今年で第31回目になるそうです。嵯峨御流は垣花悦甫先生が出瓶されました。場所は信用金庫のウィンドウで、涼しげな暖竹や葦を用いて、景色いけがいけられていました。
旧嵯峨御所大覚寺門跡において、非公開の文化財「秩父宮御殿」が一般公開されています.「京の夏の旅・文化財特別公開」7月11日~9月30日
809年に即位された第52代天皇の嵯峨天皇様が、即位される前から嵯峨野の地を気に入られ、ここに天皇の離宮を建てられたのが後に大覚寺となりました。孫にあたる恒寂法親王様が門主となられ、以来、門跡寺院として現在に至り、境内は様今も王朝の雅な雰囲気を漂わせています。特別公開の「秩父宮御殿」は今上天皇様の叔父にあたる秩父宮様の御屋敷の建物です。大正12年に東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現在の国会前庭)に建てられ、その後 昭和46年に大覚寺に貴賓館として下賜されたもの。今上天皇様、またご幼少の頃の浩宮様が大覚寺に御成りの折も、このお部屋でご休憩になりました。八畳座敷と八畳次の間、十畳の間の三部屋があり、建物内部は上品な色彩の花鳥の襖絵で飾られています。この襖絵は、御殿の雰囲気に合わせて、昭和46年に描かれたもので、林 司馬(はやししめ)先生ほか数名の日本画家によって描かれたものです。

京都市観光協会「京の夏の旅」HP
http://www.kyokanko.or.jp/natsu2015/natsutabi15_01.html#06