5月は母の月。 日本いけばな懇話会のFacebookより。
http://ikebana-konnwakai.com/
日本いけばな懇話会のFacebookに、「花の月」の花をいけました。
日本いけばな懇話会は、いけばな文化の確立と研究普及を目指し、志をひとつにする全国の華道家六十六流派八十九名が多方面にわたり活動する集団です。
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Profile
辻󠄀井ミカ先生は、祖父・父の跡を継ぎ昭和43年より嵯峨御流に入門され、平成2年派遣講師となり本格的に華道家としての活動を開始される。
平成8年華道芸術学院教授に任命されたのを始め、華道評議員、華道理事、華道企画推進室副室長等の総司所役職を歴任、平成16年より平成26年3月まで弘友会司所の司所長に就任される。
そして平成26年4月1日より華道総司所華務長に就任。
現在、日本いけばな芸術協会常任理事、大正大学客員教授を務められる。
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日本いけばな芸術協会ホームページ
5月4日はみどりの日です。華道芸術学院前の花供養塔の南庭に10年余り前に植樹された<マツクイムシに抵抗性のある「抵抗性マツ」>について少しお話しします。
このマツは、植樹されて以来10年余りの間にすくすくと大きく育ちました。
植樹式は、華道芸術学院教授100名余りが見守る中、当時の理事長黒髪寛延僧正と華務長長谷川喜洲先生、嵯峨御流の指導者である教授の代表者によって2009年6月25日に行われました。当時日本中が、マツクイムシによる深刻なマツ枯れ被害に悩んでいた時期で、大覚寺では最高十数本が一度に枯れた年もありました。
神仏の拠り代ともされてきた松・そして風光明媚な嵯峨野さらには京都の風景にとって命である松・それを今、人の手で守らなくてはならない!こうした思いで、伝統文化に携わる私共いけばな嵯峨御流の教授一同は、京都府が研究開発された、<マツクイムシに抵抗性のある「抵抗性マツ」>を植樹し、松の風景を守るという意識を形にあらわしていく第一歩としたのです。このマツの健やかな成長を見守りつつ、嵯峨野そして京都ひいては日本の風土が美しい松の緑で覆われた風景を取り戻すことのきっかけとなることを願いました。
Stay homeで自粛を続ける日々、嵯峨御流に出入りの花屋さんがわざわざ色とりどりの花を届けに来て下さいました。その気持ちに感動・心が熱くなりました。
今年4月の華道祭が行われていたら、一面桜色に彩られていたこの庭が皆様を楽しませてくださったのですが、、、コロナを収束させて、来年は2年分の華道祭を華々しく行いたいものですね。
百合・シャクヤク・ラクスパー。
「百花の王」「花王」「花神」「富貴花」これらは皆牡丹の別名。中国原産のこの花は、8世紀過ぎから長安の都で大変もてはやされたそうです。
この頃遣唐使で長安の都を訪れた空海もきっとご覧になられたはず。
時 5月2日
場所 辻井家 玄関
花 牡丹
器 ボヘミアンガラス、信楽焼下蕪
家に誰かがいて、自分が出かけるときに「行ってらっしゃいませ」と声をかけてくれるだけで心はあたたかくなる。家に帰ったら「お帰りなさいませ」と声が聞こえてきたら、それだけでホッとする。
花は生きている。だから玄関の花は、そう語りかけてくれるように、心があたたかくなる。
時 4月30日
場所 大覚寺明智陣屋 玄関
花 黄金孔雀檜葉
景色いけ「沼沢の景」を、正寝殿の腰障子に描かれた沢瀉(オモダカ)の前にいける。
沢瀉の絵を見ていて、大覚寺の祭として始まった「嵯峨祭」の「沢瀉鉾」の事を思い出しました。今年は、450年以上の歴史ある嵯峨祭の神幸祭(5月第3日曜)・還幸祭(第4日曜)ともに中止となり、残念でなりません。
例年、還幸祭では愛宕神社・野々宮神社の二基の神輿が五つの剣鉾(沢瀉鉾、菊鉾、麒麟鉾、牡丹鉾、龍鉾)の先導で魔を払いながら大覚寺へ到着します。普段は使われない勅使門が開かれ、神職による祝詞と、僧侶による読経が行われたあと、剣鉾と神輿は嵯峨一帯を練り歩くのです。
大覚寺安井堂にて荘厳華を立てる。花をいけている時間は、無心になれる。
境内の牡丹や躑躅の鮮やかな色に、心まで染まる思いがする。
大覚寺 村雨の廊下にて。
5月6日までは、僧侶の方々のみがお通りになる場所であることから、花の取り合わせは、濃紫と白にしました。
かさねの色目「紫の薄様」に想いをいれて。紫の薄様とは、平安時代の女房装束の袿のかさねの色合いの一種で、上から紫・薄紫・濃い白・薄い白さらに淡い白、と徐々に薄くなるグラデーションを表すという。